年が明けることで何故めでたいのか、今日の今日まで知りませんでした。先ほど調べましたらですね、なんでも新たな年を迎えるということは年神さまを迎えることなのでめでたいのだそうな。年神さまは正月になると高い山から降りてこられて、家々にやってきては幸せをもたらすのだそうですよ。
神様ですか、神も仏もキリストもアッラーも話には聞いたことがあるけど姿を見たことはない。否定はしないけどさ、会ったことがないんだもん本当に存在するかどうかは疑わしき存在だべ。
育ちの問題なのかなあ、右倣えとでもいうのかしら?教えを真に受けるのもいいけどその分自分を見失ってないか?
生きていたら悩むこともあるし辛いことだって起きる、しょうがないことだってある。そのときに心の支えとなるものがあったっていいけどさ。あったっていいけど、なんだろうなあ。それがコレらの類いって情けないんだよなあ。
こうやってケチつけるからダメなんだろうなあ。わかっちゃいるけど気が治まらないんだわ。無視しとけばいいのにさあ、何やってんだかなあ。
令和5年にもなって何千年も前の神話やら何やらを本気で信じているのだとしたら怖いよ本当に。